私が小学生のときでした。
学校からの帰り道、駅の駐輪場で段ボール箱に入っている子ネコを見つけました。
段ボールの周りには、缶詰のえさが置かれていて、捨てネコのようでした。
私はそのネコが前に飼っていたネコによく似ていてどうしても放っておけず、家に連れて帰りました。
仕事から帰ってきた両親に拾ってきたネコのことを話すと、両親ともその子ネコのことを受け入れてくれて、ルイは我が家の家族になりました。
最初は、とても弱っていて、ミルクを少し飲むだけでしたが、どんどん食欲も出てきてとても元気になっていくのがわかりました。
それからは、私の成長とともにルイもすくすくと成長し、私が勉強やパソコンをしているとわざと前にどーんと座ってくるような図々しいルイでしたが、それでもとてもかわいく家族みんなに愛されていました。
突然の痙攣に激しく動揺
私が高校生になったくらいのころから、ルイはよくえさを吐くようになっていました。
以前から、自分の毛をなめて吐くことはあったのですが、あまりにも様子がおかしいので動物病院に連れていくと、脳の病気だと言われました。
手術をしても治る可能性も低いし、年齢的にもそろそろかもしれないと言われました。
そのため、入院はさせず、お家に連れて帰ることにしました。
その後もどんどん元気がなくなっていくルイを見るのがつらかったですが、
私が家に帰ると足にすり寄ってくるので、少しでも長生きをしてほしいと願っていました。
ある日、部活を終えて夜帰宅すると、弱弱しくルイが部屋を歩いて、部屋の真ん中で便をしました。
これまで必ず自分のトイレでしていたので、びっくりして、片づけているとルイが私の足にすりよってきました。
ルイを抱っこすると、いきなりルイの体がけいれんし始めました。
「お母さん!!ルイが変!!」と叫んで、動揺しているうちに、ルイの体から力がふわっと抜けていくのがわかりました。
これがルイの最期でした。
私の帰宅まで頑張って待ってくれた愛猫に感謝
ルイが亡くなって、翌日。
ペットの火葬場に連れていき、ルイと最後のお別れをしました。
私はルイが亡くなったことを受け入れられず、ずっと泣いていました。
私が抱っこしたのが引き金になってしまったんじゃないかとか、ルイがけいれんをしだしたとき、もっと何かできることはなかったのかとか、後悔ばかりしていました。
でも、時間が過ぎ、ルイの最期を冷静にもう一度振り返れるようになったとき、
あの日ルイはとても体がつらかったけれど、私の帰りを待っていてくれたのかもしれないと思うようになりました。
帰宅するまで、一生懸命体が痛いのを我慢して、私の腕の中に入るまで頑張っていてくれたのかもしれないと思うと、ルイの最期の頑張りにとても感謝しました。
自分を責めるのはペットを責めるのと同じだと思う
亡くなったそのときは、ペットといっても家族なので、喪失感や後悔は計り知れないと思います。
その気持ちは、なくすことや忘れることはできないと思うのでとことん深く深く悲しんで気が済むまで泣くべきだと思います。
きっとみなさんの大切なペットもみなさんと離れて同じ気持ちだと思うので、一緒に悲しみましょう。
時間が過ぎるのをただ待ちましょう。
でも、大切なペットとの最後や一緒に過ごした日々を振り返れる日が来たとき、もし私にように自分を責めてしまっている方がいたら、それはもうやめましょう。
大切なペットはみなさんと過ごした日々がとても幸せだったと思います。
自分を責め続けていたり、悲しみ続けていたりするみなさんを天国から見るのはつらいでしょう。
だから、どん底まで落ち込んで、悲しみ切ったら、前を見ましょう。