とても小さな時にわが家へ迎えたので、ゲージを用意したのはよいものの気づいたらゲージの隙間から逃げて遊んでいた時は笑いました。
たまたま2人一緒にわが家へ迎えたので、2人いつも一緒にくっついて眠っているのがすごくかわいかったです。
寒いのが苦手で、人をストーブの前から「よけて!」と鼻でつんつんと押して、いなくなるとストーブの前で横に長くなって寝ている姿がかわいかったです。
夏の暑さも苦手で、居間から廊下に出てみたり、自分で風通しの良い場所を見つけて寝ている姿がかわいかったです。
まさか上らないだろうと思っていた階段を上り、2階へ行き2階の廊下の壁紙をかじっていたのには驚きました。
2階へ行ったはいいものの、降りるのが怖いようで恐る恐る降りてきて最後2~3段目になると思い切ってジャンプして下に降りてくる姿がかわいかったです。
撫でてほしいと寄ってくるのがすごくかわいかったです。足元をぐるぐる回る姿もかわいかったです。
時々鼻をぶーぶー鳴らしながら走って遊んでいるのもかわいかったです。 それは突然やってきました。たまに元気がなくなることは一年を通してあったりするので、さほど気に留めずにいるのですが、
その時は食欲も落ち、動きあまりせず、ほとんど寝ていました。
車での移動や、病院を怖がるので体の負担、気持ちの負担も考えよほどのことがない限り病院へは行かないのですが、
この時は本当に弱っているのは目に見えてわかり、病院へ行こうかどうしようか本当に迷いました。
連れていくのはいいけれど、連れて行ったことで逆に体の負担、気持ちの負担になって早く亡くなってしまったらどうしよう…と
悩みました。しかし、連れていかなかったことで後悔しても遅いので病院へ連れていくことにしました。
いつもはすごく嫌がるのに静かにゲージに入って、車で移動中もじっとして動きませんでした。
薬をもらい、家に着き一時は元気を取り戻したかにみえましたが、病院へ行った次の日自分が見守る中静かに息を引き取りました。 亡くなってから、何度も何度もこれでよかったのかと自問自答しました。病院に連れて行ったから、こんなに早く亡くなってしまったのではないか?
病院に連れていかなければもう少し長く生きられたのではないか?自分は十分かわいがっていただろうか?いっぱい撫でてあげられただろうか?
わが家に来て幸せだっただろうか?わが家に迎えて本当によかったのだろうか?
結局病院へ連れて行っても後悔が残り、病院へ連れて行かなくても後悔が残ります。
その選択が正しかったのか答えがないので、いつも最後は後悔が残ります。
また会いたいと思いました。また一緒にいたいと思いました。またたくさん撫でたいと思いました。
苦しくて苦しくて仕方ありませんでした。悲しくて悲しくて仕方ありませんでした。
どこを見ても家には思い出がたくさん詰まりすぎていて頭がおかしくなりそうでした。
涙は止まりませんでした。何日も止まりませんでした。思い出して仕方ありませんでした。
今も思い出します。思い出すと会いたくて悲しくて泣けてきます。 自分がどんなにその子のためを思って行動しても、毎日後悔なく過ごしていても、やっぱりこれでよかったのかな?と
後悔は生まれると思います。それはそれだけその子を大切に思い、家族だと思い、大好きだからだと思います。
その子を亡くして悲しくないわけはありません。たくさんたくさん涙がもう出ないと思うまで泣いてください。
悲しんでいると家族のことを心配して天国に行けないからと聞いたことがありますが、自分の気持ちを抑えていると
いつか爆発してしまいます。悲しい時は泣いてたくさん悲しんでください。
たくさん泣いて悲しんで自分の中で落ち着きが取り戻せたら、また少しだけ歩き出そうと思えると思います。
本当は亡くなった子はいつもあなたのそばであなたのことを励まし大好きだよと言っています。
目には見えなくて、手には触れられないけどでもすぐそばにずっといるのだ思います。
悲しい時はつらい時は苦しい時はがまんせず泣いてください。