体験談

【金魚すくいで家に来た金魚数匹たち】一寸の虫にも百の魂っていうことわざは本当だな

 

 

幼少期に、インコなど鳥類を飼ったことはありましたが、ほとんどペットのない暮らしで育ち、大人になってからもずつとペット不在の生活でした。

ところがある時、スーパーの催事の金魚すくいで金魚が家に来てからというもの、軽い気持ちで飼い始めた小さな命にドハマリしてしまい、毎日の生活が金魚中心といっても過言ではないくらいとなってしまったことがあります。

まだデジタル化が始まった頃のことで、現在のようにインターネットで時が過ぎるような過ごし方はなく、全て金魚を見て可愛がる時間が長かったです。

毎日居間で人間の立った位置くらいの水槽で、TVを見て育った金魚達は、どこか人間臭い魚になり、部屋を歩く人間の立っている姿をまねて、魚としては不自然なお腹を前に向けて縦になって水中に佇むというへんてこりんな姿を見せるようになっていました。

感情の複雑さも、かつて飼っていなセキセイインコがパーに思えるほど賢く感じ感慨深かったです。 金魚すくいのような不衛生でストレスの高い環境から連れてこられた魚としては、随分と長生きしましたが、自分や家族もあまりペット飼育経験がなく、かなり危なっかしく手荒い扱いの時もあったと、今思い出してひやひやすることもあります。

最終的に、金魚達は皆、寿命的なことからくる病死だったのですが、そのことが自分達人間を含めて、生き物の最後は、加齢に伴う体力の衰え、病気の発生などによる寿命による死という現実を突きつけられた感じです。

個体によっては、介護な気持ちを感じました。

たとえば、浮きの不調からくる沈み方で、横になったまま水槽の床を引きずり泳ぐとひれが傷んでしまうので、車いすや補助機をつけてやりたくなるのですが、気丈な金魚が断固拒否…という感じです。

金魚を飼っていた人で同様な気持ちを感じ、実行した人の話を伺い、自分だけではないと驚いたこともあります。 全ての金魚が一匹づつ旅立って行った時の喪失感があまりにも大きく、以来、生き物が飼えてないです。

ほんの小さなささやかな命であっても、人間の一生がそこに投影されているような気がしてしまい、気軽にとはとても思えません。

彼ら小さな生き物の命は、死んだら無という感じもなく、年に1~2回くらいですが、ふと話題になる時や気配をかすかに感じる時があって、家ではそういう時のことを“里帰り”と呼んでいます。

いまでは、文鳥や猫などの動画をアップされている方の様子を見て気を紛らわせています。

機会あればまた飼ってみたく考えていますが、籠や水槽の中に閉じ込めておく買い方や、その命の最後に対する責任について、お互いが幸せに感じられるような飼い方ができると確信できる時期を待ちたいと思っています。 一心に愛を受け、愛されたペットちゃんは、それだけで天国に行けると思っています。

その直前は、やはりそれなりのささやかながらの弔いもあればあった方が良いのかとも。

ペットちゃんがいなくなっても、なんだかやっていけます。

時がたてば、これまで関心がなかったことに目が向けられるようになり、自分や環境が変わっていきます。

そしてずっと何年もたち忘れた頃に、ペットちゃんは、時折自分と共にいる時もあるのだな、と気づくこともあります。

 

 

 

-体験談

© 2022 亡くなった愛犬に会いたい Powered by AFFINGER5