- 夜、眠っている間に亡くなっていたので看取ってあげられなかった
- もう力尽きようとしていると分かってたけど仕事に行ってしまった
- 入院中に亡くなってしまった
最愛のペットが最期の時を迎えようとしているのに、看取ることができなかった、立ち会えなかったと後悔している飼い主さんは多いものです。
もし、できるのであれば亡くなった犬や猫に謝りたいと自分を責める人まで。
しかし、亡くなったペットは最期を看取ることができなかった飼い主を決して恨んだりしていません。
なぜなら、地球に生まれてきたペットたちはどんな死を迎えようとも満足しているからです。
最期を看取れなかった飼い主側とペット側の考えの違い
ペットの最期を看取れなかった飼い主である人間はこう考えがちです。
- もっと手厚く看護してあげればよかった
- 仕事なんてほったらかせばよかった
- もっと評判のよい病院へ連れて行ってあげればよかった
考え出せばキリがないほど、さまざまな後悔の原因を自ら探してきて後悔を深めてしまいます。
一方、亡くなったペット側はどう考えているかというと
- 飼い主には本当に感謝している
- 自分はこの世に生まれた使命を果たしたから満足
- 飼い主が憔悴したり凹んでいるのに困惑している
このように感じています。
最期を看取る、という行為は人間の価値観で最もよい見送り方です。
でも、ペットたちにとっての死は地上で与えられた役目を全うしたという卒業式のようなもの。
飼い主に看取られずに天国へ旅立つことに何の不満も恨みもありません。
柴犬のポン太くんの最期を看取れなかったAさんの話
実際に愛犬を看取れなかったAさんの話です。
どうしても行かなければならない仕事があり、深夜に帰宅後柴犬のポン太くんの様子を見に行った時、すでに彼は息絶えていたそうです。
たった1人で逝かせてしまった、寂しい思いをさせてしまったとAさんは激しく後悔していました。
大事な家族が危篤に近いのになぜ仕事を選んでしまったのか、Aさんの後悔と自責の念は相当なものでした。
Aさんは亡くなったペットの気持ちを知ることができる方法は聞き知っていました。
でも、ポン太くんの気持ちを聞くのが怖くてなかなか前に進めませんでした。
そんなAさんもついにポン太くんの気持ちを知る決心がついたのです。
ポン太くんの伝えたいことはこんな感じでした。
「僕はパパを応援するためにやってきたんだ。パパの僕に対するイメージはいつも1人でポツンと思ってたかもしれないけど僕はいつもパパに意識を合わせて応援していたんだ。仕事とかで辛い思いをしているのも知ってたし。でも、僕はいつも落ち着いて!って思ってたんだよ」
と。
さらに、最期を看取れなかったことを謝ろうとすると
「僕はパパを応援するためにやってきたんだ。パパの手を煩わさないようにパパのお仕事中に体を離れたんだ。パパのためと思ってたけどどうも逆だったみたいだね、ゴメン。」
亡くなった愛犬に謝りたかったAさんでしたが、ポン太くんから逆に謝られて笑ってしまったそうです。
愛犬の最期に立ち会えなかった時犬は寂しい?
ペットは飼い主であるあなたを幸せにするためにやってきた存在です。
それは使命と言ってもよいかもしれません。
そばにいて癒してくれることはもちろんのこと、落ち込んでいる時には慰めてくれる。
飼い主が嬉しいことがあった場合には、一緒に喜んでくれる。
こんな使命を与えられてあなたの元にやってきたのです。
そして、飼い主に貢献することができたら今生での役目を終えて天国に帰って行きます。
それは一種の卒業式。
決して悲しい式典ではありません。
飼い主がそばにいなかったから寂しいという気持ちにはならないのです。
ペットの最期を看取ることができなかったと後悔するのは、畳の上で家族全員に看取られたいという人間だけの願望です。
あなたの亡くなったペットはこれっぽっちもあなたを恨んではいないでしょう。
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